実家?呉服屋?館山?画像?本名?
ビジュアル系バンドのパイオニアと言えば、X-Japanですね。
メンバーのリーダー・YOSHIKIはドラムとピアノがメチャすごい上手いのが印象的。
どんな生い立ち何だろうか?気になる。
出身は千葉県館山市で、実家は呉服屋さんをやっていた。
本名は林佳樹(はやしよしき) 2016年現在年齢51歳。
実家の場所の住所は北条海岸から近くだそうだ。近所の誰かに聞けばわかるでしょうね。
現在は誰も住んでないということだが、住んでいたら人が集まって大変なことになるでしょうね。
呉服屋の長男であったためなのか、自らの着物ブランド「YOSHIKIMONO」を立ち上げて、2013年に国立競技場で行われた音楽イベント「ASIA GIRLS EXPLOSION」にてヨシキモノを初披露し、自身は得意なピアノで盛り上げた。
海外生活を20年以上続けていたため、着物が素敵な文化だと感じての企画だと言ってました。
呉服屋を継がなかったが、着物の良さを世間に広める役割を充分に果たしましたね。
育った家庭は裕福であったが、小児喘息を患っていて病弱な少年だったという。
そのためか、外で遊ぶよりも音楽に興味をもったのか、4歳でピアノを習い始めている。
しかもピアノも買い与えられたため、眠っていた音楽能力が爆発したってことですね。
弟?母?父親?高校?
生まれてから持病の小児喘息持ち。はしかや水ぼうそうは普通の子より、3倍治るのに時間を要した。
小学校の頃に、2度の交通事故で大怪我。
そんなYOSHIKIを支えていたのは、ご両親と5歳年下の弟。
父はジャズ・ピアノ、母親は三味線、叔母は琴の演奏を嗜む音楽一族。
また、父親は先代から家業を継ぐまでプロのタップ・ダンサーであった。
YOSHIKIに優しくて良くしてくれた父は、YOSHIKIが10歳の時に亡くなってしまった。
後に父親の死が自殺(享年34歳)であることを知らされていなかったが、数年後の中学生時代に親戚の家で偶然に耳にして知ってしまう。
父の死後は母が女手一つで育て、誕生日ごとに新たな楽器を与えられるなど、音楽に恵まれた環境で子供時代を過ごした。
中学高校と学業優秀であったが、素行が荒れた問題児であった。
しかし家庭ではプロの音楽家を目指し練習に没頭する子供であり、母親はこれに投資を惜しまなかった。
弟は俳優の林光樹(読み方・はやしこうき)といい、過去に田辺エージェンシー所属の俳優であったが、現在は主に兄・YOSHIKIのマネージメント業務をしている。
弟もイケメンで、画像有。
自主制作レーベル「EXTASY RECORDS」の立ち上げに際しても出資し、母親はYOSHIKIの音楽活動を支える強力なスポンサーであった。
ちなみに弟は、2003年に結婚している。
妻の名前は松野ちか。元新体操の日本代表 かつ 元たいそうのおねえさんNHK”おかあさんといっしょ”の。
弟の嫁の画像有。
幼少期は仕事で忙しい両親に代わり、主に家政婦が兄弟の面倒を見ていた。
高校は甲子園で有名となった安房高校。最終学歴は高卒。
進学校でありますが,進学校としては有名な方ではない。
YOSHIKIを強力に支えたのは家族であることは間違いありませんね。
父が死去した時は相当にショックだったらしく、同じ境遇の自死遺族のために基金を設立している。
X-Japanの歌で「Tears」という曲があるが、父の死亡で傷んだ心の叫びではないかと言われてます。
バラードの名曲「Tears」といえば、2004年韓国映画「僕の彼女を紹介します」の主題歌にもなりましたね。
この映画はチョン・ジヒョン主演ですが、チョンジヒョンといえば2001年映画”猟奇的な彼女”の彼女も超かわいい。
彼女は今は、結婚して旦那もいるし息子さんも出産した、妻となりました。
ティアーズは、1993年の第44回NHK紅白歌合戦の曲にもなっている。
ちなみにその時の対戦相手は久宝瑠璃子。
懐かしい彼女は、現在何しているんだろう。結婚して子供が…ってとこでしょうか。
wiki久宝瑠璃子をみると、2001年SOPHIAメンバー・都啓一(キーボード担当)と結婚。
息子娘一人ずついるそうです。
おっとそれより、XJAPANといえば18年ぶりに2015年紅白出場じゃあ、あ~りませんかぁ~。
6回目の出場です。
YOSHIKIの話題は広くて深くて、どこまでもいつまでも続きそうですね。
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