織田信長と本能寺の変の真実?まとめ?簡単?嫁と正妻と側室?弟は茶人?有楽町?妹はお市?


戦国武将:織田信長公

430年以上も前に亡くなってしまいましたが、誰もが知っていて最もインパクトがあり、未だ人気の高い人といえば、織田信長しかないでしょう。

彼の革新的発想と行動は、混沌した現代社会を生き抜くうえで非常に参考になります。

迷いがなく、決断力がズバ抜けてますね。肖像画がありました。

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愛知県出身で、実家は愛西市勝幡町付近。父親は愛知県を治めていたそうだ。

身長は…

170cmくらいで、当時にしては大きめの体型ですね。

長男の兄が信広で、信長は次男。弟が10人くらいいて、10人くらいの姉妹がいる。

子供も息子・娘がそれぞれ10人以上。多過ぎて調べきれません。

1534年6月28日頃に生まれ偉業を次々に成したが、部下の反撃に合いあえなく命を落とされました。

これが有名な「本能寺の変」という事件です。どんな真相なのか検証してみます。

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目次

真相・本能寺の変!

1582年6月2日の未明、信長の部下の明智光秀が、同僚の羽柴秀吉の応援に向かう途中、突如、雇い主の信長を襲ったものでした。

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場所は京都の本能寺。信長も徹底抗戦したが、多勢に無勢であえなく死亡となった。

信長の長男・信忠もこのとき二条御所で果ててしまいました。

また、弟・織田有楽斎はこのときなぜか二条御所を逃げ出しており、後に卑怯者と言われるようになりました。

この方は、兄・信長とは正反対の性格。茶道がお好きで茶人として有名らしい。

後の有楽町の町名は、彼が徳川家の茶人となってその名を地名としたそうです。

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歴史的大事件この原因は諸説様々ありますが、一般的には以下の通りです。

光秀の立場から彼の心境をみてみましょう。

①信長に命じられてた徳川家康の接待で、出した料理が理不尽にも不味いとされ信長から激しく叱責されて恨んでいた。

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②このことが原因かどうか、接待役を解任され、同僚の秀吉の配下で働かされることになったこと。

③しかも、治めていた京都付近を没収され、取り戻すには秀吉の応援次第だとか。

信長、これはやりすぎでしょうね。あれだけ頑張っていた部下に対してひどい仕打ちですよね。

でも本当にこれだけが原因だったのでしょうか?失敗したときのリスクでかいのに。

その他、怨恨説以外にも簡単にまとめると、

黒幕説・四国征伐回避説・焦慮説・理想相違説がありますが、複合的に関わっててよくわかりませんね。

自説!本能寺の変

ここで僕が長年調べてきたことをお伝えします。自分としては真実に限りなく近いお思ってます。

あくまでも僕の個人的見解だと思っていただければ幸いです。

黒幕説・・・朝廷説が有力だと判断します。

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当時、朝廷は武家に頼らないと政治も何もできないくらいに無力でした。

そんな中、信長が桶狭間で有名になり勢いを増して、朝廷を無きものにするくらいの力で世間を制圧し政権を奪うと思われました。

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困った朝廷は、光秀に頼んで抑えてもらおうとしたができない。

また、信長は外国勢力のイエズス会から、鉄砲の火薬を売ってもらう代わりにキリスト教の布教を認めた。

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信長とキリスト教徒の勢いで朝廷は万事休す。

そこで秀吉に頼んで、「信長が亡き後、関白などの地位を与えるから上手くやってくれ」

「光秀には信長を叩いてもらうように指示しといたから。」

「彼は政権取るなんて野望なく、お前と協力して日本を治めたいと言ってるから大丈夫」

秀吉からすれば、百姓出身が関白なれるなんて、そんなに良い話はないと引き受けたんでしょうね。

また、光秀には同じような話をしてそそのかした。

「信長が裸状態になったとき、信長をやれ。その後政権はお前に任せる。」

「毛利にも応援するように頼んである。秀吉は百姓だから駄目だ。安心しろ。」

「各大名にも恩賞を与える約束済み。信長よりお前の方がいいと言ってる。」

そして本能寺の決行・・・見事成功して、二人とも万歳!

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ところが、お互い朝廷との約束は知らされてなく、「オレが政権取るんだ。お前じゃない」となって山崎の戦いの結果、秀吉が勝利。

晴れて秀吉が政権を奪う事となった。

つまり、朝廷は負けた方を見捨てることを始めから決めていたんですね。

ものすごい企みですね。さすがは戦国時代。

その証拠に秀吉は、織田家を壊滅させたし、キリスト教の弾圧もやったではありませんか。

また、信長の妹・お市の方は織田家を壊滅させた秀吉さんを終生恨んでますしね。

正室や側室♡

長くなりましたが、次に信長の女性関係を見てまいりましょう。

嫁・・・濃姫(正妻)

愛人・・・生駒吉乃、お鍋の方、原田直子、養観院

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この時代は一夫多妻制でホントお元気だこと。

イラストで済みませんが、なかなかの美人ですよね。

濃姫の実家は岐阜県美濃の斎藤家で、父はマムシと呼ばれる曲者の娘として信長と結婚。

吉乃は夫に先立たれた後に戻った実家で、信長に見初められて愛人となった。

信長の周りにはその他素晴らしい方がたくさんいらっしゃいます。

今後も紹介して参りますので、本日はこれまでとさせていただきます。

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