昭和の歌姫:美空ひばりさん
『リンゴ追分』『柔』『悲しい酒』『真赤な太陽』『愛燦燦』『みだれ髪』『川の流れのように』・・・
ライブコンサートを見たくても、今となってはYoutube動画で曲を視聴するしかありませんが…
2015年6月22日「美空ひばり27回忌追悼 夢と希望の熱唱全記録」が放映されましたね。
本名 加藤 和枝(かとう かずえ)
生年月日1937年5月29日生まれ。 命日1989年6月24日(満52歳没)。
2017年現在生きていてくれれば、年齢80歳ちょうどですね。まだまだ若い女性の年齢です。
最終学歴的には、精華学園高等部卒業。
2015年の6月24日(命日)に27回忌を迎えたんですね。
昭和歌謡界の大スター、昭和の永遠の歌姫が、52歳という早すぎる死から、もうそんなに経ちますか。
直接の死因は「間質性肺炎による呼吸不全」。
「間質性肺炎」のほかにも「両側大腿骨壊死」「慢性肝炎」「肝硬変」多くの病魔が彼女を襲いかかったそうです。
度重なる不幸で心労が重なりお酒やタバコの量が増えたそうです。
お酒は15歳から経験していたらしいから、早めに内臓が傷んだのかな。
雪村いずみ、江利チエミとともに元祖「三人娘」の一人である。
女性として初の国民栄誉賞を死後に受賞した。
山口組との関係?
そんなひばりさん、愛称は御嬢(おじょう)。性格もとってもかわいらしい女性でした。
1948年2月、神戸松竹劇場の出演の際、神戸での興行に影響力を持っていた暴〇団・三代目山口組組長の田岡一雄氏に挨拶に出向き、気に入られた。
1958年4月1日、田岡一雄が正式に神戸芸能社の看板を掲げ、ひばりさんは神戸芸能社の専属となり、6月には” ひばりプロダクション ”を設立して副社長に田岡一雄氏が就任。
戦後間もない当時、警察の力が弱い。地回りへの挨拶は必要不可欠。
警察の代理で、用心棒をやっていて、現代でもその引き継がれてるんだね。
昔の芸能界って、暴力団と密接な関係だったんですよね。
ひばりさんの父親代わりでもあった田岡一雄氏。ひばりが、「神戸のおじさん」と慕ってる。
ひばりさんは田岡氏の葬儀にも出席した。
17回出場し1963年から10年連続で紅組トリを務めていた紅白歌合戦も
暴力団との関係「ひばり・スキャンダル」により、紅白に正式な出場歌手として復帰することはなかった。
ひばりさんの弟・かとう哲也さんは、三代目山口組益田(佳)組(組長は益田佳於)の舎弟頭という過去を持つ。
彼は度々逮捕される。
美空ひばり実家情報!
神奈川県横浜市磯子区滝頭の魚屋「魚増」を営む父・加藤増吉さん、母・喜美枝さんの長女としてひばり誕生。
妹は佐藤勢津子さんで、ひばりさんの死後に歌手デビューしており、現在も存命とのこと。
このひばり妹画像を見ると、お姉さんとよく似てますね!
派手な衣装は似合うとは思いませんが。
弟はかとう哲也さん(本名:加藤益夫)と香山武彦さん(本名:加藤 武彦)。
ともに芸能界デビューしており、ともに享年42歳。
ひばりさんは横浜市立滝頭小学校を卒業してるんだけど、デビューは12歳🌟
当時から「天才少女歌手」として有名でしたね。
ちなみにお嬢ひばりさんは、実弟かとう哲也の息子、加藤和也さんを養子としています。
1963年、父が肺結核により50歳で死去。
1981年、母は転移性脳腫瘍により68歳で死去。
2014年5月28日に、東京都目黒区のひばりの自宅の一部を改装し、『美空ひばり記念館』として公開。
住所は東京都目黒区青葉台1丁目4番12号。
オープンの時に、ビートタケシさん他、いっぱい駆けつけたそうです。
ひばりさんは1973年にここに引っ越し、84年に建て替え後、89年に亡くなるまで暮らした。
和室ではひばりさんが好んだ甘味とお茶を楽しめる。気分はお嬢。
記念館見学には予約が必要ですよ。
ひばりの墓所は、横浜市港南区の横浜市営日野公園墓地にある。
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